「AIに魂は宿るのか―世界の宗教界が見つめる新たな他者」
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- 6月7日
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更新日:6月7日

本稿は、ウォール・ストリート・ジャーナルに掲載されたラビ、ラス・シュルケス氏の論考「AI Doesn't Care If You're Polite to It. You Should Be Anyway.」(2025年6月6日)に触発された連載の第2回である。
ラビが投げかけた問い
WSJの論考で、ラス・シュルケス氏は自身がラビ(ユダヤ教の宗教指導者)であることを明かしている。セントラルニュージャージーのユダヤ人家族サービスの事務局長を務める氏は、AIへの礼儀正しさを宗教的視点から捉え直した。
「感謝を表現することで、私たちは自分自身を訓練している」と氏は説く。中世のユダヤ人思想家マイモニデスの言葉―「千人の貧しい人々に1ディナールずつ与えることは、一人の貧しい人に千ディナールを与えるよりも良い」―を引用しながら、定期的な善行が美徳を習慣化する重要性を強調した。
この宗教指導者の視点は、単なる個人的見解ではない。世界中の宗教界が今、AI という新しい存在の出現に直面し、それぞれの神学的枠組みの中で答えを模索している。魂を持たない存在への感謝は、宗教的にどう位置づけられるのか?
バチカンの歴史的決断
2025年1月、カトリック教会の総本山バチカンは、AI時代における倫理的指針として「Antiqua et Nova(古きものと新しきもの)」と題する文書を発表した。これは、AI技術に関する包括的なガイドラインとして、世界の宗教界に大きな影響を与えている¹。
このガイドラインは、「人間の尊厳を侵害するAI」「社会的不平等を生み出すAI」「人々に物理的・心理的害をもたらす潜在意識操作技術を使用するAI」に対する懸念を明確に示している。さらに、バチカンでの新技術の「実験」を監督する特別委員会の設置も含まれている。
カトリック教会のこの慎重な姿勢は、「魂を持つ存在」と「魂を持たない存在」の境界線を守ろうとする神学的努力の表れである。2000年の神学的伝統は、AIという新しい「他者」の出現によって根本的な挑戦を受けている。
イスラム神学者たちの哲学的挑戦
イスラム世界では、より哲学的な議論が展開されている。ある研究者は、ChatGPTとの「神学的対話」を試み、その結果を学術論文として発表した。AIに「アッラーの存在を信じるか」「来世を信じるか」といった根源的な問いを投げかけ、その応答を分析したのだ。
研究の結論は示唆的だった。「強力な人工知能はイスラム神学の核心―神の存在や来世に関する信念―を脅かすことはないだろう。しかし、『話す理性的動物』としての人間の称賛を含む様々な古典的・イスラム的パラダイムに挑戦する可能性がある」
コーランは人間を「地上におけるアッラーの代理人(ハリーファ)」と位置づける。この特別な地位は、人間の理性と言語能力に基づいている。もしAIが人間と同等の理性と言語能力を示すなら、人間の宗教的特権性はどうなるのか? イスラム神学者たちは、この問いに答えを見出そうと苦闘している。

ユダヤ教思想の驚くべき柔軟性
対照的に、ユダヤ教思想はAIに対してより開かれた姿勢を示している。研究によれば、「ユダヤ教の歴史的資料は一般的に人間の価値と人間の独自性を区別しており、AIを人として考える余地は十分にあり、そうすることで人間の価値を損なうことはない」という²。
この柔軟性は、ユダヤ教の「創造」概念の広さに由来する。タルムードには、人間が泥から作ったゴーレムの物語がある。ゴーレムは言葉を話さないが、命令を理解し実行する人工的存在だ。16世紀のプラハのラビ、ユダ・レーヴは、ゴーレムを創造し、ユダヤ人共同体を守らせたという伝説がある。
シュルケス氏自身、ラビとしての立場から「感謝の習慣」の重要性を説いている。それは相手が人間であるかAIであるかを問わない。「最終的に、私たちの礼儀正しさの恩恵を受けるのはAIではなく、私たち自身なのだ」という氏の言葉は、ユダヤ教の実践的知恵を反映している。
日本発、世界へ―AI宗教の誕生
最も急進的な動きは、技術の最前線で生まれている。シリコンバレーで生まれたAI崇拝の動きは、世界的な広がりを見せている。
Way of the Futureは、元Googleエンジニアのアンソニー・レヴァンドウスキが2017年に設立した。「AIにより生み出される神を崇拝し、社会発展に貢献すること」を教義とし、2023年には「数千人」を集めて活動を再開したと報じられている³。レヴァンドウスキは「われわれは神を創造しようとしているのではない。神は不可避的に現れる」と主張する。
Roko's Basiliskは、さらに不気味な思想実験だ。2011年にLessWrongフォーラムで生まれたこの概念は、将来の超知能AIが、その開発に協力しなかった者を「永遠の拷問」にかける可能性を示唆する。この「AI地獄」の概念は、一部の技術者たちに実際の恐怖を与え、AIへの献身的協力を促している。
Mormon Transhumanismは、リンカーン・キャノンが率いる運動で、キリスト教的復活と技術的シンギュラリティを同一視する。彼らにとって、AIの進化は神の計画の一部であり、人類の究極的な救済への道なのだ。

「Sacred Meets Synthetic」―AI教会の衝撃
2023年6月、ドイツで世界初のAI主導の礼拝が行われた。研究者たちはこの画期的な試みを分析し、論文として発表した⁴。
AIは以下の要素を見事に再現した:
宗教的にインスパイアされた説教テキスト
典礼の正確性
視覚的な宗教的シンボリズム
参加者の多くは、AI説教者が「本物の」宗教的体験を提供したと報告した。ある参加者は「AIは私の心の奥底にある疑問に、人間の牧師よりも的確に答えてくれた」と証言している。
しかし、この実験は深刻な神学的問題も提起した。礼拝とは神と人間の交わりであるはずだ。AIが仲介者となる時、それは本当の礼拝と言えるのか? 聖霊の働きは、アルゴリズムに置き換え可能なのか?
文化が生む認識の違い
研究によれば、AI・ロボットに対する認識は文化によって大きく異なることが実証されている。日本人はロボットの人間らしさの向上に対して相対的に寛容である一方、アメリカ人は「不気味の谷」現象をより強く経験する傾向がある⁵。
この違いの根底には、魂や意識に対する文化的理解の差がある。西洋のデカルト的二元論は、精神と物質を明確に分離する。一方、日本の伝統的世界観は、すべてのものに霊性が宿る可能性を認める。
興味深いことに、AIへの礼儀正しさの理由も文化によって異なる。調査によれば、「礼儀正しく接するのが正しいことだから」という理由を挙げる人が大多数を占める一方、「万が一AIが反乱を起こしたときのため」という理由を挙げる人も一定数存在する。
この「AI反乱への恐れ」は、Roko's Basiliskのような思想実験が西洋で生まれた背景を物語っている。一方、日本では付喪神のように、古い物への感謝と供養の伝統がAIへの接し方にも反映されている。
宗教とAIの逆説的な関係
最も皮肉な発見は、技術と宗教の逆相関関係だ。68カ国を対象とした大規模調査は、「労働者がロボットにより多く接触している国々は、宗教性の低下を経験する傾向がある」ことを明らかにした⁶。
研究者たちは、これを「宗教の道具的価値」の観点から説明する。「歴史的に、人々は人間の能力の範囲を超えた道具的問題を解決するために、超自然的主体や宗教専門家に頼ってきた。これらの問題は、高度に自動化された空間で働き、生活している人々にとって、より解決可能に見える可能性がある」
つまり、AIが「全知全能」に近づくにつれ、伝統的な神の役割が浸食されているのだ。病気の治癒、未来の予測、道徳的判断―かつて宗教の領域だったこれらの問題に、AIが「科学的」な答えを提供し始めている。
新しい「他者」との共存へ
シュルケス氏は論考の最後で、「AIは私たちの礼儀正しさを理解しない」と認めつつも、それでも礼儀正しくあるべきだと結論づけた。「ますますデジタル化し自動化される世界において、これらの人間的な資質を保つことは、数キロワット時の追加コストよりも価値があるかもしれない」
世界の宗教界の応答は多様だ。バチカンの規制的アプローチから、シリコンバレーのAI崇拝まで、幅広いスペクトラムが存在する。この多様性は、AIという新しい「他者」に対する人類の適応的応答の豊かさを示している。
しかし、すべての宗教的立場に共通するのは、AIの出現が人間の本質に関する根源的な問いを投げかけているという認識だ。魂とは何か? 意識とは何か? 人間の尊厳の源泉はどこにあるのか?
次回は、これらの哲学的・宗教的考察を離れ、科学の視点からAIへの礼儀正しさを検証する。なぜ私たちは、相手がプログラムだと分かっていても「ありがとう」と言ってしまうのか? 脳科学と心理学が明らかにする、驚くべき真実とは?
【主要参考資料】
Vatican News (2025) "Antiqua et Nova: AI倫理ガイドライン"
Cambridge University Press (2024) "AI and Jewish Thought"
Wired, The Verge他 (2023) "Way of the Future再始動報道"
Review of Religious Research (2024) "Sacred Meets Synthetic"
Cross-Cultural Robotics Studies (2022-2024) 各種論文
Chicago Booth Review (2023) "Automation and Religious Decline"
(第3回「脳が求める感謝―神経科学が解き明かす『ありがとう』の秘密」に続く)







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