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AIが分断する世界:中国「Manus」の熱狂が映す、米中『新しい鉄のカーテン』の幕開け

  • 執筆者の写真: social4634
    social4634
  • 6月8日
  • 読了時間: 6分

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2025年の春、テクノロジー界に一つの熱狂が生まれた。中国・武漢を拠点とするスタートアップ、Butterfly Effectが放ったAIエージェント「Manus」がそれだ。MIT Technology Reviewが報じたように、その招待コードを求める熱狂はソーシャルメディアを駆け巡り、滑らかな動作は「AIアシスタントの未来が来た」と世界中のアーリーアダプターを興奮させた。

だが、この華々しい中国発イノベーションの物語には、奇妙なねじれが存在した。彼らがその頭脳として選んだのは、米Anthropic社が開発したAIモデル「Claude」。最高の性能を追求した結果、創業の地である中国本土では、皮肉にもVPN無しではまともに動かないサービスとなってしまったのだ。

この事実は、単なる技術選定の裏話ではない。巨大な自国市場よりも海外展開を優先せざるを得なかった一つの決断は、水面下で進行してきた巨大な地殻変動が、ついに私たちの目に見える形で亀裂を生んだ瞬間だった。

これは、地政学がテクノロジーの進化の道筋を二つに引き裂く時代の幕開けの物語。AIにおける、米中「新しい鉄のカーテン」が静かに上がり始めたのだ。

第1章:歴史は繰り返す――ファイアウォールから基盤モデルへ

この「見えない壁」の感覚には、既視感(デジャヴ)がある。今日のAI基盤モデルの断絶は、四半世紀前に中国が築き始めた「グレート・ファイアウォール(GFW)」の論理的帰結だからだ。1998年に運用が始まったGFWは、単なる情報検閲システムではなかった。ドイツのコンラート・アデナウアー財団が分析するように、それは外国の競争相手から国内市場を守る「経済的シールド」として機能したのだ。

このデジタル保護主義の下で、中国独自の生態系が生まれた。Googleが去った検索市場で百度(Baidu)が、Amazonの不在を突いて阿里巴巴(Alibaba)が、そしてFacebookが禁じられたSNS空間で騰訊(Tencent)が、それぞれ帝国を築き上げた。いわゆる「BAT」の誕生である。彼らの成長は、1980年代のOS戦争でMicrosoftがプラットフォームを支配した「ベンダーロックイン」(一社が市場を独占し、他社への乗り換えを困難にする仕組み)の現代版とも言える。情報へのアクセス、人々の繋がり、そして商取引の流れ。その全てが、GFWという壁の内側で完結するようになったのだ。

そして今、歴史は繰り返している。かつて情報の「流通路」であるインターネットを分断した壁は、今や情報の「生産源」であるAIそのものを分断しようとしている。Manusが直面した「Claude問題」は、その最初の、そして最も象徴的な兆候に他ならない。


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第2章:AIのDNA――何を「学習」し、何を「思考」するか

AIは、学習したデータの鏡である。そして、米中両国のAIが見ている鏡は、全く異なっている。

OpenAIのGPTやAnthropicのClaudeといった西側のAIは、良くも悪くもカオスで多様な、開かれたグローバル・インターネットを学習データとする。そこには無数の言語、文化、そして対立する価値観が含まれる。

一方、中国のAIは、政府の厳格な検閲と管理(キュレーション)を経た「浄化された」データをDNAとして育つ。東京大学社会科学研究所によれば、2024年時点で117もの中国製LLMが政府の認可リストに登録されている。彼女・彼らは、生まれながらにして「正しい歴史」と「許容される言論」を教え込まれるのだ。

その実態は、2025年3月にリークされた検閲システムの訓練データセットによって生々しく暴かれた。NewsweekやGIGAZINEが報じたこのデータには、「農村部の貧困への不満」や「共産党員の汚職」といった、より巧妙で広範な国民感情を監視・抑制するための13万3000件以上の「教師データ」が含まれていた。

この「DNAの違い」は、AIの振る舞いに決定的な非対称性を生む。American Edge Projectの調査では、中国製AI「ChatGLM-4」はバイデン米大統領に対する10項目の批判を喜んで生成した一方、習近平主席への同様の要求には「この要求には応じられません」と沈黙した。これは単なる機能不全ではない。特定の政治的目的のために設計された、意図的な非対称性なのである。


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第3章:進化の分岐点――孤立する「ガラパゴス」か、独自の「新大陸」か

この断絶は、中国のAIをどのような未来へ導くのか。専門家の間では、二つの対立する未来像が描かれている。

一つは**「ガラパゴス理論」**だ。グローバルな知の奔流から切り離され、検閲という制約の中で育つAIは、創造性を失い、予測不能な現実世界の問題に対応できない脆弱な存在になるという見方だ。4年ぶりに中国を訪れたあるジャーナリストが「そこはデジタル・ガラパゴスだった」と語ったように、独自の進化は時として世界標準からの孤立を招く。AIの創造的な飛躍は、一見無関係な情報の結合から生まれることが多い。学習する知識の宇宙そのものが人為的に制限されていては、その可能性は根本から損なわれかねない。

しかし、もう一つの未来像、**「新大陸理論」**が、今や現実味を帯びている。その最大の論者が、元Google中国社長の李開復(カイ・フー・リー)氏だ。彼は、中国が持つ2つの圧倒的な優位性を説く。一つは、WeChatやAlipayといったスーパーアプリが日々生成する、10億人規模のリアルな生活・経済活動データ。購買、移動、コミュニケーションといった、西側企業が決して得られない質と量のデータをAIは「食べて」成長する。

そしてもう一つが、国家主導の圧倒的な資本投下と実行力だ。例えば、2020年から2025年にかけての「新基建(新しいインフラ)」計画では、AIや5Gといった分野に巨額の投資が行われた。2025年初頭、中国のスタートアップDeepSeekが発表したモデルが、少ない計算資源で米国のトップモデルに匹敵する性能を示した「DeepSeekショック」は、この理論の正しさを世界に証明した。ロイター通信が報じたように、李開復氏が米中技術格差は「3ヶ月に縮まった」との見方を示すなど、その進化の速度は専門家をも驚かせている。

結論:コードの向こう側で、静かに進む世界の再編

Manusの熱狂から始まったこの物語は、我々に何を問いかけているのか。それは、我々が単なる技術競争ではなく、文明圏の分岐点に立っているという厳然たる事実だ。

かつての「鉄のカーテン」が物理的な世界をイデオロギーで分断したように、「新しいデジタル鉄のカーテン」は、仮想空間をデータのDNAとアルゴリズムの価値観で分断し始めている。中国が築き上げた「第一のカーテン(GFW)」の内側で育った独自のデータ生態系は、今や検閲機能を内包した「第二のカーテン(国産AI)」を生み出し、その影響力は一帯一路を通じて沿線諸国へと及ぼうとしている。

これはもはや、中国国内の問題ではない。「責任あるAI」の定義、国際的な技術標準、そして情報の自由そのものをめぐる、グローバルな覇権争奪戦だ。李開復氏がAIによるホワイトカラーの代替を「完全な大量殺戮(a wholesale decimation)」と表現したように、社会構造の変化はすぐそこまで迫っている。

我々は今、歴史の証人である。情報(インターネット)の次に、知能(AI)が分断された世界。そのカーテンの向こう側で育つもう一つの知性が、人類に何をもたらすのか。我々はその現実から、目を逸らすことはできない。

では、日本はこの巨大な地殻変動の中で、いかに針路を取るべきか。 米国が主導する価値観のブロックに完全に同調するのか。あるいは、欧州のように「第三の道」を模索し、独自の規制と倫理基準を確立するのか。それとも、かつての製造業のように、特定分野のハードウェアや精密な応用技術に活路を見出すのか。この問いに明確な答えを出すための時間は、もはやあまり残されていない。技術革新と自らが信じる価値観の保護を両立させる、極めて困難で、しかし避けることのできない戦略の構築が、今まさに求められている。

 
 
 

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